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Cutiss Wrightは第2次大戦末期陸軍航空隊と攻撃機XA-43の契約を結んでいたが、戦後旧式化したNorthrop P-61 Blackwidowを代替する必要が出てくると、この機体は1945年11月21日に全天候ジェット迎撃機
XP-87として開発、XF-89と採用を競うことになった。
並列複座、一つのナセルにエンジン2発、合計4発とした機体は非常に大きく重たく、1号機XF-87は1948年3月5日に初飛行したもののエンジン推力が低すぎるため速度が遅いうえ高速飛行中にバフェッティングが発生し性能はいまひとつだった。そのため2号機
XF-87Aは強力なエンジン双発に変更され、6月10日には量産型F-87A 57機、RF-87A 30機の契約が結ばれた。
成功を収めたP-40以降に開発した機体(XP-53,XP-55,P-60,XP-62,XP-71,XF14C,XF15C,C-76)が悉く失敗し、さらに第2次大戦終結による軍用機需要の激減で深刻な経営難に陥っていたCurtiss
WrightはXF-87に最後の望みを託していたが、1948年10月10日、XF-89の勝利とXF-87の不採用が決定しXF-87Aは開発中止、F-87A、RF-87Aも契約を取り消されて経営再建のチャンスは失われた。これにより同社はエンジン部門を残して資産をNorth
Americanに売却し航空機開発事業から撤退、その後1960年代にX-19で再起を図ったがこれも開発中止となり、アメリカ初の航空機メーカーとして数々の名機を生み出したCurtiss社と、人類初飛行を記録したWright兄弟のWright社をそのルーツに持ち、かつては世界最大の規模を誇った名門Curtiss
Wrightは遂にその航空機メーカーとしての栄光の歴史に幕を下ろすこととなった。 |
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XF-87 45-59600 |
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XF-87 模型
Planes of Fame Air Museum
Chino,CA |
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